Progress in Medicine, 2015, Vol.35, No.5, 85-88.

原発事故における風評被害の問題と対策

中 谷 内 一 也


はじめに
 福島第一原子力発電所の事故後,福島県やその近隣 地域の農水産物が市場で取り引きされない,あるいは 価格が著しく下落するという,いわゆる“風評被害“が 発生し,生産者は大きな打撃を受けた.風評被害とは 本来,事実でない噂やデマによって商品が売れなく なったり,業務に支障が出たりすることを指す.例え ば,ある化学調味料の原料が蛇であるといった噂が広 まって売り上げが落ちたり,あるいは,特定の金融機 関が倒産するという噂話から取り付け騒ぎが発生する ようなケースである.しかし,福島県産品に対する“風 評被害“はこれらには当てはまらない.なぜなら,福島 第一原発の事故は噂話ではなく,放射性物質の降下に よって農作物や土壌が広範囲に汚染されたことは事実 だからである.むしろ,そういった事実はあるものの, しかし検査によってリスクは十分に低いと確認された 商品までが忌避されるという社会的な傾向,すなわち 消費者による警戒の過剰拡大が,福島第一原発事故に よる風評問題の特徴といえよう.  こういった風評被害の起こり方は特異なものではな く,古くは,辛子レンコンで食中毒が発生した結果,そ の製造業者ではない生産者の商品までが売れなくなり, 業界全体が大打撃をこうむったことがある.SARS (severe acute respiratory syndrome)に感染した台湾 医師が日本を広く観光旅行したことが報じられて,直 接の訪問先でない観光施設にまでキャンセルが多発し たこともあった.つまり,懸念すべき事実はあるもの の,リスクが極めて低い,あるいは十分にコントロー ルされている対象にまで回避行動が拡大するタイプの 風評被害があり,福島県産品への風評被害はこれに当 てはまる.本稿ではなぜ,そのような風評被害が起こ るのかを社会心理学の観点から検討する.

(本文より抜粋)